ぷらっと禅

禅したり、しなかったり。

MENU

【良い仲間に恵まれるために】『君に友だちはいらない』

f:id:zenpra:20200823181650j:plain

著者について

 『君に友だちはいらない』の著者である瀧本哲史さんは『武器としての交渉思考』『武器としての決断思考』『僕は君たちに武器を配りたい』などの著作でも知られています。東大法学部からマッキンゼーに就職し、退職後は京大の客員准教授も務めましたが、昨年(2019年)の8月に亡くなられました。

 これから残されるはずだった数々の著作や講演が失われてしまったことは本当に残念です。この記事では『君に友だちはいらない』を読み、私なりに考えさせられたことや、気になったところのまとめを残しておこうと思います。

 

人間のコモディティ化

 画一的な商品を生み出してきた社会の中で、人間もまた商品的な扱いを受けています。それは履歴書を記入していけば自ずと見えてきてしまうものです。資格は何があるのか。どこの大学を出ているのか。修士か、博士か。他の人間に比べて際立った経験をしてきているのか。

 

 ここには別に自分らしさを表現する余地はありません。企業が求める能力に基づき、自分の所有している資格、スキル、学歴を表明する。そうすることで、人間同士が同一尺度で評価することが可能になっていきます。

 

 そしてそのように評価された存在は、ある種の商品として扱われる。デザイナーが企業から無理難題を押し付けられるという現象が、まさにこれを表しているのではないでしょうか。

 

 仕事を依頼する相手は、もはや人間ではなく、特定の依頼に応じるというサービスの提供者、もはや商品的存在になっています。このような状況を瀧本さんはコモディティ化と呼んでいるのです。

 

私たちは、コモディティ化から逃れ、人間としてより豊かに、幸福に生きるためにどうすればいいのだろうか。その答えこそが、「仲間」をつくることだ(p6)

 

 このコモディティ化の流れから幸福になるためにするのが「仲間」を作ることだといいます。この本のタイトルには「友達はいらない」と出ていますが、ここから連想される「友達不要論」はほぼ語られません。全体としては「理想的な仲間、チームとは何か」が論じられていきます。

 

 友達不要論について考えたい人は菅野仁さんの『友だち幻想』(ちくまプリマー新書)を読んだ方が良いでしょう。

 

仲間は目的のために集まる存在

 この仲間というのは決してズルズルと続く関係のものではありません。瀧本さんは友だちについてはあまり深く言及はしていませんが、仲間のあり方については次のように述べています。

 

 私は、仲間というのは当初の目的を達成し、互いに必要とする時期が終われば、離れるのが自然だと思っている。いつまあでもずるずると仲間意識をひきずり、「仲良しごっこ」を続ける関係には、意味がないのだ」(p94)

 

 この一節が登場するのは「本物の海賊の行動原理」という節で、その前は「『ワンピース』ルフィの幻想」という節が置かれています。ルフィの仲間観について真面目に論じているところが面白く、内田樹の『ワンピース』論に対しても批判を加えていました。その主な趣旨は「無条件に運命を共にするのが仲間ではなく、そもそも仲間は特定の目的のために集まった人々」というものです。

 

倫理性の無い仲間は危険。

 ビジネス的な観点から考えると、「金、結果が正義」といった形で考えられているのではないかと思っていましたが、それは良い意味で裏切られました。チーム作りの上では、「倫理性」が非常に重要なのだといいます。ここで言及されている「ゴキブリ理論」もまた興味深いものでした。

 

 ゴキブリが一匹出たとしたら、その一匹がたまたまいたのではなく、見えないところに何匹もいる。それと同じように一つの嘘などが露見した時、それはたまたまついてしまった嘘ではなく、常習的に行っている場合があるというのがこの「ゴキブリ理論」のようです。これは瀧本さんのオリジナルではないようですね。

 

 誠実さがなくてはチームが円滑に回っていきません。それは当たり前のことなのですが、大人になっていくにつれて薄れてしまう観念でもあります。しかし、倫理観が周囲に迷惑をかけるレベルにまで低下した仲間がいると、それは全体のパフォーマンスを下げることにつながってしまいます。

 

 ただ、倫理性をチームの中で養っていくのは実際には難しいのではないでしょうか。一定レベル以下の倫理観しか持っていないメンバーがいたら、勇気を出して切り捨てる覚悟も必要なのことかもしれません。

 

 

仲間に恵まれる自分になる

 倫理性意外にも「どのような仲間を集めるべきか」についての記述はとても多くなされていて、気になる方には本書を実際に手に取っていただきたいのですが、問題はどうやら仲間だけではないようです。

 

 どのような人を引き寄せるか、どんな人が自分に対して関心を抱くかは、その人自身の人生の反映であり、「まわりにロクなやつがいない」というのは、鏡に向かって悪口を言うのに等しい。っ自分の行動、態度を変えれば、まわりに集まってくる人も変わってくる。自分の置かれている環境は、少なからず自分が過去にしてきた意思決定の反映なのだ(p171)

 

 そこまで強調されていない一文ではあったが、これこそが真理を言い得ているように思います。自分の周囲に集まる人というのは多かれ少なかれ何かしら自分と共通点を持った人です。自分のネガティブな気質と共通した部分を持っている人が集まってくる場合も少なくはないでしょう。

 

 生産性を伴わずにズルズルと続くような関係を心地よく思っているのなら、やはりそうした人が自分の周りに集まってきます。また倫理観が希薄な行動をしていればそれを許容するような、もしくは実際に同じような行動をとっている人間が集まってくるのではないでしょうか。

 

 良い仲間を集め、良いチームを運営していくことは大事なのでしょうが、その前提として良い仲間に恵まれるには、自分が良い存在であろうとしなくてはいけない、ということになってきます。

 

 ただ、どんな仲間も大事にしていきたいと思うのが人情ではあります。生産性がないからもう会わない、というような関わりはやはり悲しいものだと思う人も少なくないでしょう。ただあ、いわゆる友だちを瀧本さんも否定はしていなくて、友だち的な仲間(仕事のチーム)は要らないということを言っています。

 

おわりに

 物語の主人公は大抵良い仲間に恵まれます。それは単なる偶然ではなくて、主人公の人間としての質が、出会いに影響を与えているのでしょう。

 

「仲間に恵まれたい」

 

そう思う前に、まずは自分の生き方の方向を見直してみる必要があるのかもしれません。良き縁はどこかからランダムにやってくるものではなくて、日々の自分が作り出していくものなのです。