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先祖供養をするワケとは。『仏教の正しい先祖供養 功徳はなぜ廻向できるの?』から

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 今日からお盆(旧盆)です。

お墓参りをする方も多いかと思いますが、そもそも先祖供養というのはなんでしょうか。『仏教の正しい先祖供養 功徳はなぜ廻向できるの?』という本を読んだので、内容をかいつまんでお伝えしながら考えていきたいと思います。

 

 

本と著者紹介

この著者は藤本晃さんという方です。広島大学で文学博士を取得され、山口県の誓教寺のご住職をされています。誓教寺は本書が書かれた時には「浄土真宗本願寺派」だったようですが、現在は浄土真宗の単立寺院となっています。

 

単立とは特定宗派に属していないということですが、誓教寺は「浄土真宗」という大枠には入っているようですね。

 

藤本さんは初期仏教という、お釈迦さんがまだ生きていらした頃の時代を中心とした仏教に深く傾倒されていて、それが原因で単立になったのでしょう。

 

 

本書はあとがきを含めて188p、難しい経典の引用も無くて非常に読みやすいものになっています。「元ネタ」は藤本さんご自身の博士論文と、またその後に発表された論文2本だそうです。

 

本書の中心になっている経典は『増支部(ぞうしぶ)』「ジャーヌッソーニ章」というものです。『増支部』経典というのは上座部という東南アジアに伝わった仏教で重んじられている経典です。

 

パーリ語というインドの昔の言葉(サンスクリットよりもくだけた口語体)で書かれたものの一つになっています。

 

ちなみにジャーヌッソーニというのはバラモンの名前のようです。

ジャーヌッソーニ。

イタリア人にいそうな名前ですね。

 

このバラモンが先祖供養が本当に意味があるのか、ということをお釈迦様に聞き、その答えをもらっているのがこの『増支部』「ジャーヌッソーニ章」になります。

 

供養は生きている内に

冒頭でなかなか衝撃的なことが言われます。それは「亡くなってからの供養は遅い」というものです。

 

 

お釈迦さまはまず、「親や親や親族が『亡くなってから供養する』のでは遅すぎる」とおっしゃいます。親が生きているうちから、自分を産み育ててくれた両親を尊敬し孝養をつくすことが、ほんとうの「供養」だとおっしゃるのです。いわゆるふつうの「親孝行」が、先祖供養の原点なのです。(p30)

 

おっしゃる通りですよね…。ただ、失ってからようやくその大切さに気づくのが人間の悲しい性です。

手遅れになってから、ようやく「あれをしておけば良かった、これをしておけば良かった」と思うようになります。

 

生きているうちに何かしてやろうと思っても、顔を合わせれば小言の言い合いになるということがよくあるのではないでしょうか。

 

生きている内に感謝を示すことというのは、本当に難しいことですよね。そうした人のために供養というのはあるのでしょう。

 

廻向しよう

ただ、供養というのはダイレクトに亡き人に届くものではないのですね。そこで必要になってくるのが「廻向(えこう)」というものです。これは「回向」とも書きます。

 

周りのお寺関係を見ていると「回向」を使っている人の方が多いようですが、ここでは本書にならって「廻向」でいこうと思います。

 

「廻向」というのは「めぐらし向ける」ということなのですが、何を「めぐらし向ける」のかというと、「功徳(くどく)」です。功徳を廻向するのを「追善供養」とも言います。

 

「追善」供養の仕方はかんたんです。なにか善行為をして、「これは両親の代理でわたしがしました。この善行為の功徳が両親にありますように」などと、心で願ったり、ことばで表現したりして「功徳廻向」すればよいのです(p36)

 

 

このように、もう自力では功徳を積むことができなくなった両親に対し、自分で善い行い(善行為)をして、それを両親の代わりですよといって功徳をめぐらし向けていく。これが廻向のシステムになっています。

 

具体的に功徳として説明されているのは「布施(ふせ)」です。

 

現代の日本で布施というと、お寺や坊さんに渡す葬儀料・供養料というような印象があるかもしれません。しかし、東南アジアの国々では、お坊さんに食事を施すことが布施だと考えられており、ここで言われているのもそうした意味での布施です。

 

布施についてはネットにも色々と情報が出ています。

Wikiのリンクを載せておきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E6%96%BD

 

 

この布施をめぐらし向けていく、つまり廻向していくわけですが、自分の功徳が無くなるわけではありません。

 

 善行為自体が一つの善行為で、その功徳を廻向することは別の善行為ですから、廻向すると、善行為を二回したことになり、自分の善行為の功徳が、減るどころか逆にますます増えるのです(p38)

 

つまり、最初に行う布施=善行為として+1、さらに廻向=善行為として+1され、自分には結局+2になりますよ、というのがこの廻向の発想なわけですね。もちろん廻向を向けられる相手も+1されることになります。

 

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こんな感じ。

 

なんだか「紹介してくれたらポイントサービス」みたいな感じがしないでもないですね…。

 

 

ここまでは非常に納得のいくところでしたが、ここからがちょっと「えっ」なるような内容でした。

 

 だが、餓鬼限定。

 

「天人には天人の食べ物が、人間には人間の食べ物が、畜生には畜生の食べ物が、地獄には地獄の食べ物があり、その食べ物によって、それぞれの生命はそれぞれの境遇で生存しています。そこに生きる者たちには、布施の功徳はためになりません」(p40)

 

「餓鬼道に住む者には、布施の功徳はためになります。この餓鬼道が、布施の功徳が役に立つ適切な境遇です」(p40)

 

 

なんと。

 

 

功徳をめぐらせることはできるのだけれど、その相手は餓鬼限定だというのです。餓鬼というのはこんなやつです。

 

 

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出典 餓鬼草紙 写 国立国会図書館近代デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2542610


 

食べ物をもらっても、それを食べようとすると燃えてなくなってしまうというのがこの餓鬼の特徴です。

 

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 図にするとこんな感じに。この頃は六道輪廻ではなくて五道輪廻だから修羅は無いです。

 

…いやいや、うちのご先祖様がそんなところに生まれ変わっているわけないじゃないか、と思いますよね。

しかし、お釈迦様なお答えはこんな様子でした。

 

 

バラモンよ、餓鬼道に(過去世も含めた)親族がだれ一人もいないままということはありえません」p47

 

「君の先祖、誰かしら餓鬼になってるよ」ということですよね。

なんとも承服しがたい感じがします。

 

 

自分のために先祖供養。

それでも万が一、餓鬼に誰も落ちていないケースもあるようですが、その時は誰も受け取ってもらえません。ただ、自分の善行為にはカウントされるのだといいます。

 

 

結局、供養・廻向というのは自分のためという話になってきてしまいますね。

 

 

バラモンであるジャーヌッソーニさんは「わかりました、お釈迦さま。わたしたちは従来どおり、布施をして先祖供養をおこなうべきです。施主自身が、その供養によって果報を得られるからです」p52

と、だいぶ物分かりが良い返事をして終わっていますが、どうなのでしょうか。

 

結論として、仏教的に「先祖供養は行うべきである」ということになりますが、それは次の理由からになります。

・餓鬼道に落ちた先祖に廻向して救うことができる。自分も功徳を積むことができる。

・万が一先祖が誰も餓鬼道に落ちていなくとも、布施の功徳を得られる。

 

 

おわりに

なるほど!

とはちょっとなりづらいですよね。日本の死生観とインドの死生観にずれがありますし。

お盆を仏教の教えの中だけで理解しようというのは小さな見方で、日本の土着の死生観を加味していく必要があるようです。

死後の姿を成仏と考えたり、それでいてお盆には死者が帰ってくるということなど。

 

むしろ土着の死生観を受け継いでいるからこそお盆という行事や仏教寺院が生き残っているとも考えられますね。

 

だいぶ長く書いてしまったので、納得できなかったところは今後また改めて書いていきたいと思います。

 

ここまでお読みいただいてありがとうございました。

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「ですます」か、「だ・である」か〜ブログの語調が安定しない問題


こんにちは。
エアコンの調子が悪くなり、サーキュレーターを頼りに生きています。


「ですます」? 「だ・である」?

最近ちょくちょくブログを更新するようになったのですが、「ですます」調か、「だ・である」調のどちらで書けば良いのかが分からなくなっています。


ググってみると、「ですます」調の方が良いという記事の方がよく出てきます。
【結論】ブログの語尾は「ですます調」と「だである調」どっちがいい?⇒「ですます調」1択です!

ブログ文章の書き方は「ですます調」と「である調」どっちがいいの?

「ブログ文章の書き方は「ですます調」と「である調」どっちがいいの?」の方では、「だ・である」の方が「人間らしさが出る」というメリットが書かれていますが、個人的にはむしろ
「だ・である」は客観的に書くのに向いていて、人間らしさはむしろ削っていくものではないかな、という印象があります。

逆に「ですます」のメリットとして書かれているのは「距離が縮まりやすい」ことが最初に挙げられていました。これは理解できます。

他には
・感情を表現する為のバリエーションが少ない
・文章が無駄に長くなる
などがありましたが、「いや、それは個人の文章力次第でどうにでもなるのでは」と突っ込まずにはいられませんでした。

ただ、「ですます」調の特徴として紹介されている中で共感したのは「単調になりがち」というもの。
私は「ですます」で書くのに抵抗があって、その理由が「ましたました」の連続になってしまうことが非常に多いことなのです。


「ましたました」病

ちょっとした機関紙を書く機会があったのですが、そこではエッセイやら何やらを書くことになっていて、全て「ですます」調で書いていました。
そこで指摘されていたのが、語尾が全部「ました」になっているということだったのです。

今回の記事は「ですます」調で頑張って書いていますが、気を抜くとすぐに語尾が「ました」ばかりになってしまいます。


上手く行っている時は良いのですが、一度「ました」が連続で出ると「あーもうやだ」と、もうお手上げ状態になることもしばしばあります。


しかもこれは書いている時だけではないようなのです。
職業柄人前で話すこともあるのですが、たまに指導を受けることもあります。

30分ほど自分が話し、その後に指導者の方から感想をいただくのですが、
「内容は良かった。でも、語尾が『ました』『ました』になっていて、ブツ切れの印象だった」
と言われたこともありました。

なかなかしんどいです。

その後に作った文章も、同期から「また『ました』『ました』になってる。クセだね」と言われ、もう「あーあー」と腑抜けた返事をするしかありませんでした。
もはや病気ですね。自分では「ましたました病」と呼んでいます。


「ですます」が下手になったのかも

自分が今まで受けてきた教育で指摘されてこなかったことが不思議に感じます。
高校の小論文などをやる前は基本的に「ですます」で書いていたと思いますし。読書感想文なんかはまさにそうですよね。

どうして指摘してくれなかったのか。
それとも前は「ましたました」になっていなかったのか。

確かに、高校の終わりから大学にかけて「ですます」で文章を書くことはほぼなかったように思います。堅苦しいレポートやら論文ばかり書いていて、文章のリズムとかに気を配るということはしてきませんでした。

お勉強をしていく中で文章が下手くそになっていくというのは何か皮肉な感じがしますね。


「だ・である」の方が個人的には好き、というか、「文章はそうでなくてはならない」という思い込みもあったと思います。


改めて「ですます」調

ここまで書いてきて改めて思ったことですが、「ですます」の方が誰かに語りかけている感じがあって良いかもしれません。

「だ・である」だと何か内側に閉じこもってしまう感じもしますが、「ですます」調ではしっかりとコミュニケーションを前提にした形にできているように思います。


語尾の連続が嫌でしばらく「だ・である」調で書いていましたが、「ましたました」病の克服や、それ以外の語尾の重複を避けるトレーニングにも良いかもしれません。

【坊主の読書感想・書評】『村上ラヂオ』〜変わるために、変わらない〜


読書感想『村上ラヂオ』





本の簡単な紹介


新潮文庫の『村上ラヂオ』。これは女性週刊誌のananに掲載されていたエッセイを本の形にまとめたものらしい。


3ページ程度の、身近いエッセイが延々と続いていく。どこから読み始めても良いし、どこで読み終えても良い。エッセイ同士にさほど明確な繋がりがあるわけでもない。

タイトルとしてあるのは、「おせっかいな飛行機」「コロッケとの蜜月」「猫の自殺」などだ。猫については「猫山さんはどこに行くのか?」というものもあるので、エッセイ同士の関連がゼロだと言ってしまうと嘘になる。

エッセイ自体は3ページで終わるのだが、間に挿絵が1ページ分入ってくるので、2回ページを繰るごとに新しいエッセイに移っていく。挿絵を描いているのは村上春樹ではなく、大橋歩という人だ。


この大橋さんのプロフィールを見てみると、「平凡パンチ」の表紙でデビューしているよう。この本の中には「平凡パンチ」についてのエッセイも入っていた。

明確な繋がりはない。けれどどこかで繋がっているような感じのする、不思議な本だ。


ちなみに本に載っている絵は、どうやら版画らしい。版画が挿絵になるっていうのはとても珍しいことだと思うのだけど、どうなのだろう。

いや、一昔前の活版印刷だったらむしろ文字も絵も全部版画みたいなものだったと言えるのかもしれない。




惹かれたところ


「スーツの話」というところに出てくる一節が刺さった。

何かがあって、「さあ、今日から変わろう!」と強く決意したところで、その何かがなくなってしまえば、おおかたの人間はおおかたの場合、まるで形状記憶合金みたいに、あるいは亀があとずさりして巣穴に潜り込むみたいに、ずるずるともとのかたちに戻ってしまう。決心なんて所詮、人生のエネルギーの無駄遣いでしかない(p11)


耳が痛い一節だ。
「文字面を読むときは目が痛いのでは」とも思うが、とりあえず耳が痛い。

人間、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という表現があるように、何かがあっても忘れてしまう。それが大きいことであれば多少は記憶に残っているかもしれないが、ちょっとした失敗だったら一瞬で飲み込み、その熱さも一瞬で消え去る。

しかしそれとは逆に「別に変わらなくてもいいや」と思っていると、不思議に人は変わっていくものだ。変な話だけどね( p12)


そういうものなのだろうか。
そういえば、以前読んだ本で「何かの失敗に対して自分を許すことができれば、次の結果が良くなることがある」というような内容があった。

失敗をしてしまった自分を許すということは、その失敗をそのまま受け入れるということだ。
逆に、失敗をしてしまった自分を許せないというのは、むしろその時の自分を否定することになる。


「変わろう!」

そう思った時の自分は、何か輝かしい「理想の自分」を描いて(実際にノートやらevernoteやらに目標とか「毎日これをやるリスト」みたいなのを作ったり)、それで満足する。

そうして満足してしまう。
今の自分がどうであるのかを置いてけぼりにして、どこかにある(本当はどこにもない)あるべき自分を捏造してしまう。

捏造した自分は自分の失敗を覆い隠す。
そして、同じ失敗を繰り返す。


…また自分を捏造する。

そうやって、捏造に捏造を重ねた人生を送ることになる。


「変わろう」という気持ちは、それはそれで立派なのだけれど、本当に変わることができなければ、虚偽にしかならない。


「変わらなくてもいいや」という開き直りは、自分を捏造するのをやめる、という点でとても健全だと思う。自分の思う自分と、実際の自分が寄り添っていけている感じがする。

頭の中の自分と、現実の自分がピタリと合っている時に、本当の変化というのが起きてくるのかもしれない。




坊さん的に


道元禅師は「発心百千万発」という言葉を使っておられる。先ほどの村上春樹の言葉で言えば「変わろう!」という思いを何回も何回も起こすということだ(時には「続けよう!」にもなるかもしれない)。

「人間喉元過ぎれば熱さ忘れる」という、先ほども出したことわざがあるけれど、「発心百千万発」は喉元過ぎたものをもう一度取り出し、何度もなんども飲み込むことだと言っても面白いのではないか。

そうは言っても、実際に何度も思いを起こすというのは難しい。

私が個人的にしているのは、ノートをつけることだ。毎朝その日にやるべきこと(坐禅、書、仏典参究)を書き出し、できていたらチェックをつけていく。できればその日、または数日後に振り返り、これができている、できていないというのを見つける。

そして、また思いを新たにしていく。


これが「発心百千万発」に当たるのかは分からないが、少なくとも自分と向き合うことをやめずに、自分を少しずつ変えて行く努力ができているように思う。


最後に



もっとも、万人にとってこれが正しいとは限らない。
『村上ラヂオ』の最後の方には、こんな言葉もあった。

ある人にとって正しいことが、別の人にとって正しくないこともあるし、あるときに正しいことが、別のときには正しくないことだってあるわけだから(p213)


今やっていることが、これからも正しいとは限らない。
ノートにあれやこれや書きつけるのが億劫になって、「変わらなくてもいいや」と思う時が来るのかもしれない。

でも、今はその時じゃない。今は今の習慣を続けていたい。

それこそ「変わらなくていいや」である。

外山滋比古さんの「道」


外山滋比古さんが亡くなられていた。

外山滋比古さん死去、96歳=ベストセラー「思考の整理学」


自分の本棚にちょうど『思考の整理学』が置いてあり、開いてみることに。
数ページ、ドッグイヤーがしてあり、その中には欧陽修(欧陽脩)が示した文章の上達法についての言及があった。

 「三多」とは、看多(多くの本を読むこと)、做多(多く文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)で、文章上達の三ヵ条である。
 これを思考の整理の方法として見ると、別種の意味が生ずる。つまり、まず、本を読んで、情報を集める。それだけでは力にならないから、書いてみる。たくさん書いてみる。そして、こんどは、それに吟味、批判を加える。こうすることによって、知識、思考は純化されるというのである。文章が上達するだけではなく、一般に考えをまとめるプロセスと考えてみてもおもしろい。


それなりに本を読んできて、文章もちょくちょく書いてはいるが、、なかなか知識や思考の「純化」というところには程遠いな、と改めて実感させられる。生半可な修練ではお話にならないのだろう。


外山さんの本がもう一冊手元あった。『「考える頭」のつくり方』という本だ。
何箇所か傍線が引いてある。

生きていくということは、職業として仕事をすることではなく、そこで生活をすることである。自分の足で、自分の責任で歩くことである。だから、どうしても努力と苦労が必要となる。

大部分の人は、歩いたあとが道にはならない。道なきところを歩いたとしても、ほとんどの場合、自分が歩いたあとは消えてしまっている。それが普通なのである。



先ほどの三多を生涯続けていたであろう外山さんが語る、生きることに伴う責任、努力、苦労というのは、改めて読むととても重く響くものがある。そして、そうした人生の歩みというのは、なかなか道になりづらい。ただ、「それが普通」だと指摘する外山氏の考えは、何か垢抜けてさっぱりしたものを感じた。

この『「考える頭」のつくり方』が書かれたのを見てみると、2018年だという。亡くなったのがつい先日であるから、この本を書いたのは94歳ごろだ。最近まで新しいご著書を出されていたことを思うと、人生を最後まで生き切られたのだと、ただただ敬服するのみだ。
そして、その達観した様子にも引き込まれてしまう。


自分の達成をもはや誇ることなく、それでいて安心していられる境地だったのだと思う。

外山さんが振り返ることをやめた道。これからも多くの人がその道を道たらしめていくのだろう。

情報に振り回される日々の中で


修行中はテレビはもちろん、新聞もほぼ読むことはできなかったが、今は逆だ。ブログサイト、SNS、テレビ、YouTubeと、情報に溢れた状態にいる。自分から情報を得ようとしなくても、家族の誰かがテレビをつければ、ニュースキャスターのしゃべる情報が嫌でも入ってくる

政府のやり方に不満を感じ、批判が頭の中を飛び交う。的外れなコメンテーターに対して憤りを感じ、またもや批判が飛び交う。

そもそも専門性が担保されていないのにどうしていっちょまえの顔をして発言をしているのかという疑問も湧く。
テレビのあり方への批判、それを良しとしている一般視聴者への批判も頭の中を飛び交い始める。

情報に飲まれるとは、単純に情報量に圧倒されることだけではないようだ。
何かの情報をきっかけにあれやこれやと考え、判断し、怒りや罵倒が鳴り響く。
情報で疲れてしまうのは、自分自身がその情報を元にして、あれやこれやとこねくり回すからなのだろう。


情報を元に色々と批判をしたとしても、その情報が明日も正しいという保証はない。
今日の情報を元にあれやこれや考えたとしても、次の日にはまた別の情報が流れてくる。
情報とのいたちごっこ

しかも、この状況では新しい情報が本当に正しいのも怪しいものがある。結局前の方が正しかった、ということもいくらでもありうる。


それでも、ニュースを観ることや、新聞を読むことは良いという固定観念は根強い。日々新しい情報にアップデートしていくことが、義務感のようにも感じられる。

しかし、新聞すら否定していた人もいた。
ドイツの文学者であるヘルマン・ヘッセの言葉だったと思う。

細かい表現は覚えていないが、新聞を読むのをやめたことで、その時間を良い詩を読む時間に当てることができるようになった、ということを書いていた。どの本に書かれていたのかも、記憶が薄らいでしまったが。

情報を取り入れることにあくせくしていると、心が渇いていってしまう。
刺激ばかり求めると、精神が枯れていってしまう。

時には世情から離れたところで、ゆっくりと文学や思想に触れる時間を作りたい。
そうすることが、心に潤いを与えることになっていくのではないか。


情報の暴流の上にいれば流される。
深く潜ることができていれば、流れもまた一つの景色に。

道元禅師『弁道法』 〜坐禅と就寝〜

最近道元禅師の『弁道法』という著作を法友との勉強会で拝読しました。
これは「永平清規」というくくりでまとめられる一連の著作の中の一つで、永平寺の前身である大仏寺において書かれたものだと言われています。以前西嶋和夫さんの本で弁道法について学んだのですが、正直頭にあまり入ってきませんでしたが、今回改めて色々な気づきがありました。

坐禅を行う時間】
この『弁道法』では、坐禅は四回行われます。
 黄昏(こうこん)の坐禅、後夜(ごや)の坐禅、早晨(そうしん)坐禅、晡時(ほじ)坐禅がそれにあたります(四時坐禅)。黄昏の坐禅は現在の夜坐、後夜の坐禅が暁天坐禅(朝の坐禅)に当たるようです。後夜なのに朝というのは変じゃないかと思われるかもしれませんが、修行道場の朝は3時半に起きるのが普通であったりするので(以前はもっと早かったかもしれません)、感覚としては夜でした。坐禅が終わり、朝のお勤め(朝課)が終わりにさしかかってくるとようやく白んでくるような日も少なくありませんでした。

 この夜坐ですが、現在終了するタイミングは定鐘という、21時ごろの鐘が鳴ってから坐禅の終わりを知らせる鐘(放禅鐘)が鳴ります。そうして一同僧堂から出て行き、それぞれが自分の寮に戻り就寝という流れになるのですが、この『弁道法』では違います。

 「黄昏の坐禅、罷(や)めんと欲するには板を鳴らすべし。〜(中略)〜既に板鳴り罷われば、大衆合掌して袈裟を襞(たた)み、被巾に裏(つつ)んで、函櫃(かんき)の上に安ぜよ」

 当時は坐禅の終わりには鐘ではなく、板(木板)を使っていたようです。そして、これが鳴ったら僧堂から出ていくのではなく、その場でお袈裟を抜いでたたみ、お袈裟を入れておく袋に入れる、ということです。

 「大衆は暫らく留まりて坐禅し、徐々として被(ひ)を開き、枕を安じ、衆に随って臥す。留まり坐し衆に違して、大衆を顧視することを得ざれ」

 そうして就寝となります。ここで興味深いのが「一斉に急いで布団を出して寝ろ」というようなことが言われていないことです。少なくとも私が修行していた道場では、一律になるべく早く動くというのを規範にしていたのですが、ここでは、「徐々として被(ひ)を開き」というように、急いでやるというニュアンスは感じられません。ちなみに被は掛け布団のようなもののようです。

 坐禅をする単(たん)から降りることもなく、坐禅が終わったらそのまま就寝。私が修行中、「寝ることも修行だ」と言われていましたが、あまり実感ができていませんでした。このように坐禅の終わりの延長に睡眠が来ると、確かに修行であるという感覚がもっと強くなったのかもしれません。

 ちなみに、寝る時は右脇を下にして寝るべきだと示されますが、それ以外にも色々とルールがあります。

1.頭を仏様に向ける(修行道場には僧堂の中心に仏様、基本的に文殊菩薩が祀られています)
2.横になって仏様をみてはいけない。
3.両足を伸ばしてはいけない
4.壁に向いたりうつ伏せになってはいけない
5.膝を立ててはいけない
これらは『三千威儀経』といものに書かれているようです。
他にも帯を解いたり裸で寝てはいけないなども書かれていて、当時はいろんな姿で寝ている修行僧がいたのだろうな、と想像させられます。

ただ、寝ていると寝返りなどもあるので、この通りに実践するのは難しいですね。膝を立てて寝ることも腰に良いことだと言われていますし…。

ひとまずは右脇を下にして寝る努力だけは続けていく、ということで許してもらいたいと思います。

「不動」の心とは〜沢庵禅師『不動智神妙録』覚え書き


 沢庵さんの『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』という著作を読みました。これを読むきっかけになったのは次の言葉です。

心こそ心迷わす心なれ、心に心心ゆるすな


 不思議な言葉ですよね。心が心を迷わし、心に対して心が心許してはいけない。ちょっと一瞬頭が痛くなるような表現です。これが載っているとされたのが『不動智神妙録』だったのです。

 しかし、amazonなどで探してみても、なかなかしっかりしたものはありません。角川ソフィア文庫あたりだと専門家が書いてくれたりもしているのですが、この『不動智神妙録』に関する本を書いている人はちょっと畑が違う人のような印象を受けました。禅と剣の関係について書いている本ということもあり、武術系の方が書いている本である場合も多かったようです。

 もちろんそうした本が悪いとも思わないのですが、あくまでも仏教僧侶、禅僧としてこの著作を読みたかったので、敬遠してしまいました。そこで久しぶりに図書館で探してみると、『禅入門』というシリーズの本があり、そこに沢庵さんのものもありました。ちゃんとこの『不動智神妙録』も入っていて、一安心です。原文も訳も載っていて、非常にわかりやすい本だという印象を受けました。手元に欲しいなとお思い、この本を検索してみると、なんと中古で3万円ほども…。ちょっと買うのにはためらわれます。末長く図書館に置いていてほしいですね。

 さて、この『不動智神妙録』という本は柳生宗矩という武士に対して書かれた本です。そのために禅と剣について書かれているのですね。ただ、禅と剣の関連を書くというよりは、剣の極意に例えて禅を説いているようです。沢庵さん自身はおそらく武術には長けていなかったのでしょうが、その極意が禅と通ずることを何かしらの形で知っていたのでしょう。

 件の「心こそ心迷わす心なれ、心に心心ゆるすな」という言葉ですが、ちゃんとこの著作には載っていました。著作の一番最後の最後、締めに使われています。しかし、どうやらこれは沢庵さんの言葉ではないようですね。「歌にもこのようにある」という流れで紹介されていて、この歌が誰によって詠まれたのかということは分かりませんでした。
 ※この歌についてはまた日を改めて考えてみたいと思います。
 
 
 この歌以外にも『不動智神妙録』は禅のとても大事なことをこの上なく平易に語ってくれており、読むたびにうなづいてしまうぐらい、感銘を受けました。

 ここでは著作の題名にもある「不動」について言及しているところを紹介したいと思います。


不動明王といっても、実は一心の動かぬところをさしたもの、身がぐらつかないことです。ぐらつかないとは、心が物事に止まらぬことです。物を一目見て、それに心を止めないことを、不動と申します。
なぜかなら、物に心が止まると、いろいろの分別心が胸にわき、いろいろ胸のうちに動くのです。心が止まれば、止まる心は、動いているようで、自由自在に動かぬのです
(p58-59)


 ここにはとても多くのことが語られています。不動というのは、単純に読めば「動かない」ことが特徴だと思われますが、少し違うようです。確かに「一心の動かぬ」ところとは言われていますが、直後に「ぐらつかないとは、心が物事に止まらぬこと」だと言われています。「不動」であれば、むしろ一点集中のようなものをイメージするのではないでしょうか。お仏像でも、標識でも、美人でも良いですが、見たらそこから注意を離さない。音が聞こえようが、視界に何か飛び込んでこようが、それに意識を持っていかれない。それが不動なのではないか、というのが普通の考えかと思います。

 しかし、ここで沢庵さんは逆に「心を止めないことを、不動と申します」としています。一心が動かないことが不動だと言っておきながら、直後に「心を止めないこと」が不動というのは何か矛盾しているようにも思われます。あれやこれや考えていくということも不動ということになってしまいかねません。しかし、あれやこれや考えている状態は「いろいろの分別心が胸にわき、いろいろ胸のうちに動く」ことであり、これは否定されています。

 どうやら「心を一点に止める訳でもなく、あれやこれや考え事をするのでもない」というのが「不動」の意味するところのようです。精神分析の祖であるジークムント・フロイトが「全体に漂う注意」という言葉を使っていたようですが、これに近いのではないでしょうか。一点に集中するのではなく、広く全体に注意が向けられている。それでいて妄想やら思考に執われることがない。そうした状態のことを言っているのだと思います。


 坐禅をしていると、「物に心が止まる」というのを何回も経験します。僕は曹洞宗で、基本的に壁側を向いて坐るのですが、木目が気になったり、お寺の坐禅会によっては襖側に坐ることもあるのですが、そこの模様に心が執われることもあります。

 物理的な物以外に心が止まることもあります。例えば音です。これは大きい音よりも、些細な音の方が気になってしまいます。車や飛行機の音よりは近くの人がちょっともぞもぞ動いた時の衣擦れの音なんか、一度気になると止まりません。

 何かに気が止まってしまうと、そこからはあれやこれやと妄想が始まります。目に映る物については意識的にしろ無意識的にしろ違う形のものが浮かんできます。木目が何かのキャラクターに見えてくることもありました。

 衣擦れの音の場合はもっと厄介です。人が発している音だと、「ああ、この人は坐禅に集中していないんだな」といったジャッジを始めてしまうのです。そうしたジャッジをしている自分が一番坐禅から離れていることにも気付かずに。

 あれやこれや考えたり、妄想を繰り広げているのは、心が飛び交っている、自由に動き回っているとも表現できるかもしれませんが、沢庵さんはここで「心が止まれば、止まる心は、動いているようで、自由自在に動かぬ」としています。

 一度入ってきた情報を元にあれやこれや考え事をすることは、つまり新しい情報に目を向けなくなってしまうということです。これはもちろん目以外の五感全てに当てはまります。世界から情報を受け取ることを拒み、自分の内側で思いをこねくり回しているような状態は、いわば心が凝り固まっている状態だと言えるでしょう。

 こうした状態は心が自由であるとは言えません。心が自分の内側という一箇所に止まってしまっているのですから。

 沢庵さんの「不動」の心持ちで常にいるのが理想なのでしょうが、なかなかそれは難しいです。坐禅の中ですら困難な時もあります(むしろその時の方が多いです)。それでも日々の実践をめげずに続け、心を止めず、心を遊ばせないあり方というのを実感していきたいものです。