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外山滋比古さんの「道」


外山滋比古さんが亡くなられていた。

外山滋比古さん死去、96歳=ベストセラー「思考の整理学」


自分の本棚にちょうど『思考の整理学』が置いてあり、開いてみることに。
数ページ、ドッグイヤーがしてあり、その中には欧陽修(欧陽脩)が示した文章の上達法についての言及があった。

 「三多」とは、看多(多くの本を読むこと)、做多(多く文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)で、文章上達の三ヵ条である。
 これを思考の整理の方法として見ると、別種の意味が生ずる。つまり、まず、本を読んで、情報を集める。それだけでは力にならないから、書いてみる。たくさん書いてみる。そして、こんどは、それに吟味、批判を加える。こうすることによって、知識、思考は純化されるというのである。文章が上達するだけではなく、一般に考えをまとめるプロセスと考えてみてもおもしろい。


それなりに本を読んできて、文章もちょくちょく書いてはいるが、、なかなか知識や思考の「純化」というところには程遠いな、と改めて実感させられる。生半可な修練ではお話にならないのだろう。


外山さんの本がもう一冊手元あった。『「考える頭」のつくり方』という本だ。
何箇所か傍線が引いてある。

生きていくということは、職業として仕事をすることではなく、そこで生活をすることである。自分の足で、自分の責任で歩くことである。だから、どうしても努力と苦労が必要となる。

大部分の人は、歩いたあとが道にはならない。道なきところを歩いたとしても、ほとんどの場合、自分が歩いたあとは消えてしまっている。それが普通なのである。



先ほどの三多を生涯続けていたであろう外山さんが語る、生きることに伴う責任、努力、苦労というのは、改めて読むととても重く響くものがある。そして、そうした人生の歩みというのは、なかなか道になりづらい。ただ、「それが普通」だと指摘する外山氏の考えは、何か垢抜けてさっぱりしたものを感じた。

この『「考える頭」のつくり方』が書かれたのを見てみると、2018年だという。亡くなったのがつい先日であるから、この本を書いたのは94歳ごろだ。最近まで新しいご著書を出されていたことを思うと、人生を最後まで生き切られたのだと、ただただ敬服するのみだ。
そして、その達観した様子にも引き込まれてしまう。


自分の達成をもはや誇ることなく、それでいて安心していられる境地だったのだと思う。

外山さんが振り返ることをやめた道。これからも多くの人がその道を道たらしめていくのだろう。