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道元禅師『弁道法』 〜坐禅と就寝〜

最近道元禅師の『弁道法』という著作を法友との勉強会で拝読しました。
これは「永平清規」というくくりでまとめられる一連の著作の中の一つで、永平寺の前身である大仏寺において書かれたものだと言われています。以前西嶋和夫さんの本で弁道法について学んだのですが、正直頭にあまり入ってきませんでしたが、今回改めて色々な気づきがありました。

坐禅を行う時間】
この『弁道法』では、坐禅は四回行われます。
 黄昏(こうこん)の坐禅、後夜(ごや)の坐禅、早晨(そうしん)坐禅、晡時(ほじ)坐禅がそれにあたります(四時坐禅)。黄昏の坐禅は現在の夜坐、後夜の坐禅が暁天坐禅(朝の坐禅)に当たるようです。後夜なのに朝というのは変じゃないかと思われるかもしれませんが、修行道場の朝は3時半に起きるのが普通であったりするので(以前はもっと早かったかもしれません)、感覚としては夜でした。坐禅が終わり、朝のお勤め(朝課)が終わりにさしかかってくるとようやく白んでくるような日も少なくありませんでした。

 この夜坐ですが、現在終了するタイミングは定鐘という、21時ごろの鐘が鳴ってから坐禅の終わりを知らせる鐘(放禅鐘)が鳴ります。そうして一同僧堂から出て行き、それぞれが自分の寮に戻り就寝という流れになるのですが、この『弁道法』では違います。

 「黄昏の坐禅、罷(や)めんと欲するには板を鳴らすべし。〜(中略)〜既に板鳴り罷われば、大衆合掌して袈裟を襞(たた)み、被巾に裏(つつ)んで、函櫃(かんき)の上に安ぜよ」

 当時は坐禅の終わりには鐘ではなく、板(木板)を使っていたようです。そして、これが鳴ったら僧堂から出ていくのではなく、その場でお袈裟を抜いでたたみ、お袈裟を入れておく袋に入れる、ということです。

 「大衆は暫らく留まりて坐禅し、徐々として被(ひ)を開き、枕を安じ、衆に随って臥す。留まり坐し衆に違して、大衆を顧視することを得ざれ」

 そうして就寝となります。ここで興味深いのが「一斉に急いで布団を出して寝ろ」というようなことが言われていないことです。少なくとも私が修行していた道場では、一律になるべく早く動くというのを規範にしていたのですが、ここでは、「徐々として被(ひ)を開き」というように、急いでやるというニュアンスは感じられません。ちなみに被は掛け布団のようなもののようです。

 坐禅をする単(たん)から降りることもなく、坐禅が終わったらそのまま就寝。私が修行中、「寝ることも修行だ」と言われていましたが、あまり実感ができていませんでした。このように坐禅の終わりの延長に睡眠が来ると、確かに修行であるという感覚がもっと強くなったのかもしれません。

 ちなみに、寝る時は右脇を下にして寝るべきだと示されますが、それ以外にも色々とルールがあります。

1.頭を仏様に向ける(修行道場には僧堂の中心に仏様、基本的に文殊菩薩が祀られています)
2.横になって仏様をみてはいけない。
3.両足を伸ばしてはいけない
4.壁に向いたりうつ伏せになってはいけない
5.膝を立ててはいけない
これらは『三千威儀経』といものに書かれているようです。
他にも帯を解いたり裸で寝てはいけないなども書かれていて、当時はいろんな姿で寝ている修行僧がいたのだろうな、と想像させられます。

ただ、寝ていると寝返りなどもあるので、この通りに実践するのは難しいですね。膝を立てて寝ることも腰に良いことだと言われていますし…。

ひとまずは右脇を下にして寝る努力だけは続けていく、ということで許してもらいたいと思います。