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「ですます」か、「だ・である」か〜ブログの語調が安定しない問題


こんにちは。
エアコンの調子が悪くなり、サーキュレーターを頼りに生きています。


「ですます」? 「だ・である」?

最近ちょくちょくブログを更新するようになったのですが、「ですます」調か、「だ・である」調のどちらで書けば良いのかが分からなくなっています。


ググってみると、「ですます」調の方が良いという記事の方がよく出てきます。
【結論】ブログの語尾は「ですます調」と「だである調」どっちがいい?⇒「ですます調」1択です!

ブログ文章の書き方は「ですます調」と「である調」どっちがいいの?

「ブログ文章の書き方は「ですます調」と「である調」どっちがいいの?」の方では、「だ・である」の方が「人間らしさが出る」というメリットが書かれていますが、個人的にはむしろ
「だ・である」は客観的に書くのに向いていて、人間らしさはむしろ削っていくものではないかな、という印象があります。

逆に「ですます」のメリットとして書かれているのは「距離が縮まりやすい」ことが最初に挙げられていました。これは理解できます。

他には
・感情を表現する為のバリエーションが少ない
・文章が無駄に長くなる
などがありましたが、「いや、それは個人の文章力次第でどうにでもなるのでは」と突っ込まずにはいられませんでした。

ただ、「ですます」調の特徴として紹介されている中で共感したのは「単調になりがち」というもの。
私は「ですます」で書くのに抵抗があって、その理由が「ましたました」の連続になってしまうことが非常に多いことなのです。


「ましたました」病

ちょっとした機関紙を書く機会があったのですが、そこではエッセイやら何やらを書くことになっていて、全て「ですます」調で書いていました。
そこで指摘されていたのが、語尾が全部「ました」になっているということだったのです。

今回の記事は「ですます」調で頑張って書いていますが、気を抜くとすぐに語尾が「ました」ばかりになってしまいます。


上手く行っている時は良いのですが、一度「ました」が連続で出ると「あーもうやだ」と、もうお手上げ状態になることもしばしばあります。


しかもこれは書いている時だけではないようなのです。
職業柄人前で話すこともあるのですが、たまに指導を受けることもあります。

30分ほど自分が話し、その後に指導者の方から感想をいただくのですが、
「内容は良かった。でも、語尾が『ました』『ました』になっていて、ブツ切れの印象だった」
と言われたこともありました。

なかなかしんどいです。

その後に作った文章も、同期から「また『ました』『ました』になってる。クセだね」と言われ、もう「あーあー」と腑抜けた返事をするしかありませんでした。
もはや病気ですね。自分では「ましたました病」と呼んでいます。


「ですます」が下手になったのかも

自分が今まで受けてきた教育で指摘されてこなかったことが不思議に感じます。
高校の小論文などをやる前は基本的に「ですます」で書いていたと思いますし。読書感想文なんかはまさにそうですよね。

どうして指摘してくれなかったのか。
それとも前は「ましたました」になっていなかったのか。

確かに、高校の終わりから大学にかけて「ですます」で文章を書くことはほぼなかったように思います。堅苦しいレポートやら論文ばかり書いていて、文章のリズムとかに気を配るということはしてきませんでした。

お勉強をしていく中で文章が下手くそになっていくというのは何か皮肉な感じがしますね。


「だ・である」の方が個人的には好き、というか、「文章はそうでなくてはならない」という思い込みもあったと思います。


改めて「ですます」調

ここまで書いてきて改めて思ったことですが、「ですます」の方が誰かに語りかけている感じがあって良いかもしれません。

「だ・である」だと何か内側に閉じこもってしまう感じもしますが、「ですます」調ではしっかりとコミュニケーションを前提にした形にできているように思います。


語尾の連続が嫌でしばらく「だ・である」調で書いていましたが、「ましたました」病の克服や、それ以外の語尾の重複を避けるトレーニングにも良いかもしれません。