ぷらっと禅

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ゆっくり歩くか、早く歩くか


先日久しぶりに大型の書店に行き、いろいろと本を物色していて買ったのが『体と心がラクになる「和」のウォーキング』という、安田登さんの本です。
安田登さんの肩書きを見てみると、能楽師とロルファーというものです。能楽師はそのままお能パフォーマーという意味です。後者のロルファーというのは、ロルフィングというボディーワークの施術者のことになります。和の身体の専門性と西洋的な身体の専門性を兼ね備えているのがこの安田登さんの特徴だと言えるでしょう。

ちなみにこの本の副題は「芭蕉の“疲れない歩き方”でからだをゆるめて整える」です。ただ、残念ながら芭蕉自身の歩き方についてはあまり突っ込んだ話は出てきません。歩き方で指摘されるのは「ゆっくり歩くこと」「長く歩くこと」です。筋肉については内転筋と大腰筋を使うことが推奨されます。

昔の人が描かれている絵図ではふくらはぎが細く、お尻の筋肉が発達していることが指摘されているのは興味深いです。私は結構ふくらはぎを使ってしまっているので、なかなか日本人的な身体からは離れた形で体を扱ってしまっているのだな、ということにも気づかされました。

そして大事にされていることが、歩くことを楽しむということです。ある地点からある地点への移動手段ではなく、その道を楽しむということが日本の巡礼でも大事にされているのだそうです。四国八十八ヶ所巡りや、お伊勢参りには他の温泉やら何やらを楽しむ観光的な要素があることを考えると頷ける考えです。



この本を読んでいて、対照的だな、と思った本は『ウォーキングの科学』です。ここで推奨されているのは意識的に早く歩くのと、普通のペースで歩くのを繰り返す(インターバル速歩)というものです。これを行うことによって健康を維持することができるということが示され、特に高齢者にとってはこれが良いようです。

今回安田登さんの本を読み考えさせられたことは、科学的な視点で見ると「健康にどれほど役立つか」という手段的として見てしまいがちになるということです。巷に溢れている本では特定の運動がどれほど健康に資するのかということばかりが喧伝されていますし、何かの運動も「これをやるとこういう効果があるから」という理由(多くの場合はダイエット)で行われているような感じがします。

しかし、どんなにその運動が健康にメリットがあろうが、その運動自体を楽しめなくては続きません。速さや効率などを求めてしまいがちになる中、そうではなくてもっと「楽しむ」というところに焦点を持って行く必要があるのでしょう。

ただ、もちろん健康を維持することも大事です。身体は資本というように、足が弱ってしまったりしては人生の喜びも半減してしまうかもしれません。ただ、そうした体を鍛えることを行うといっても、そのベースに「楽しさ」がないといけないのだと思います。「いけない」というのは、決してそうするべきだ、というべき論だけではなくて、むしろその楽しみをベースにしていかなくてはどんな運動も、それ以外の趣味なども続かないということです。感情的なレベルでそれに惹きつけられていなくては、いくらメリットがあろうと長続きしません。


ちょうど昨日、久しぶりに1時間半ほど歩きました。それほど早いペースではなく、ゆっくりと(『「和」のウォーキング』では時速4kmほどが推奨されています)。私はある程度以上の距離だと自転車で済ませてしまうのですが、歩くと思っていた以上に発見がありました。ちょっと速度を落とすだけで、上を向く余裕ができるのです。それまでは単に「コンビニ」としか思っていなかった建物も、実はその上がマンションになっていたり、そしてその建物の形が特徴的だったり。今まで単に通り過ぎていた道にも脇道があったり。早歩きをしていたり、自転車に乗っていた時には全然分からなかった、目には入っていたはずなのに気づいていなかった景色をたくさん見つけることができました。

目的を持ってそこに一直線で進んでいき、成功することが豊かな人生のコツだ、ということが言われたりもするようですが、むしろ速度を落とし、ゆっくりと周りを見回しながら一歩一歩を楽しむ余裕こそ、今必要なものなのかもしれません。