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オンライン講義が大学に充実したら、みんなもっと幸せになる


N高についての記事を見つけました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d31e0815e8e5febe13429368a7035332b56ecd9

 N高とは、角川ドワンゴ学園が運営する高校で、平成28年からオンライン授業を行なっているようです。ただ、オンライン一本ではなく、通学のコースも存在するので、生徒はリアルかオンラインかの2つのコースを選択できるようですね。海外からも登校できるので、日本を離れていても日本の教育を受けることができるというのも特色です。
 登校日数などについてN高のHPを覗いてみたのですが、年に5回のスクーリングを行えば良いようですね。出席日数よりは単位取得の方が重要だということなのでしょうか。(N高のHP: https://nnn.ed.jp/qanda/


 コロナ禍でオンラインの授業が取り沙汰される中、オンライン特化のN高が注目を集めるのは当然のことでしょう。最初に紹介した記事の中では動画による授業が主流になることによる「教師不要論」についても言及されていますが、むしろそれは積極的に進められるべきだと思います。

 もちろん教師が要らないというのではなく、単純な知識伝達を担う教師は少なくて良い、という意味です。プログラミングなど学ばなくてはならないことが増えてきている中、現在の教師を全員再教育するというのは不合理にもほどがありますし、素人が素人に教えるという構造になりかねません。それよりは専門的な人がわかりやすく噛み砕き、なおかつ楽しく教えてくれる動画の方がよほど生徒のためです。


 また、知識伝達的な部分は優秀な先生による動画配信などが主になり、実際の教室はワークショップなどの形式を用いたアクティブラーニングが主流になっていくのではないかと思います。そうなると教師というのは単に教科書を学んでいれば良いという仕事なります。北欧の国(確かフィンランド)では教師になるには専門の大学院を出なくてはならなかったと記憶していますが、教師の専門性はこれからむしろ一層求められていきそうです。

 また、大学ももっとオンラインを進めてほしいと思います。優秀な教育機関が日本にも数多く存在しているにも拘らず、地理的な制約によってアクセスできないというケースはいくらでもあります。例えば僕は曹洞宗の僧侶で、曹洞宗を学ぶには駒澤大学が最も専門的ですが、この大学に通えるのは東京近辺に住んでいる人だけです。年齢を重ねて僧侶になった人とというのは自分で本を読むぐらいでしか学ぶことができないというのが現状になっています。

 これがオンラインによるアクセスができれば、講義を離れていても受講できます。地理的な制約を解くことができれば、ある程度の出費は気にしないという人もいくらでもいるでしょう。学位を求めずに単に聴講をするというのであればなおさらです。1講座3万円程度から受講ができるはずなので、定年を迎えた人も受講者層となります。

 駒沢大学を例にとりましたが、他の大学も同様です。ビジネスを学びたいという人が近くに大学が無いという理由で諦めたり、水準の低い学校に甘んじる必要もありません。さらに下宿費や交通費も払わなくて良いというメリットもあります。

 これは受講側だけではなく、大学側としてもメリットがあるはずです。学生の確保に躍起になる大学が多い中、オンラインで興味のある講義があればいつでもどこにいても受講者になれるというのであれば経営も安定させられます。しかもそれに英語での講義も加えれば世界中の人が大学の講義にアクセスすることができます。

 海外のいくつかの大学では無料でオンラインの講義を受けられるようなサービスをしているところもありますが、それをさらに有料の形で進めていくことによって大学の維持、発展につなげていけるのではないでしょうか。

 また、ポストの問題も解決するかもしれません。受講者が多くなればそれだけ質問に対応するような人材が必要になります。少人数のゼミも数を増やさなくてはなりません。そこに博士課程を取得しながら他の固定の研究職に付いていない人をサポート的に宛てがい、一定の給料を払うこともできます。

 オンラインという形での講義には限界もありますが、地理的な制限を越えることができるという、現実では不可能なことを可能にしてくれます。コロナは一過性のものであってほしいですが、オンライン講義の芽は実りを豊かになることを願ってやみません。